〔文明18年(1486)、飛騨・越後から8月末三国峠を越えて上野に入り、佐野から12月半ば武蔵國に入る。〕
十二月のなかばにむさしの國へうつりぬ。曙をこめてちやう(庁)のはな(鼻)〔埼玉県深谷市国済寺庁鼻和(こばなわ)城跡〕といふ所をおき出。ゆくゑもしらぬかれ野を駒にまかせて過侍るに。幾千里ともなく霜にくもりて。空は朝日の雲もなく。さしあがりたる風景肝にめいじ侍しかば。
朝日かげ空はくもらで冬くさの霜にかすめるむさしのの原
其夜は箕田〔新日本古典体系本は弥陀。埼玉県鴻巣市箕田〕といふ所にあかして。武藏野を分侍るに。野徑のほとり名に聞えし狹山有。朝の霜をふみ分て行に。わづかなる山のすそにかたち計なる池あり。
氷ゐし汀の枯野ふみ分て行はさ山の池のあさかせ
其日の半より漸々富士はみえ侍りぬべきを。よるのしもなごり猶かきくもりて。かぎりもしらず侍り。からうじて鳩が井のさと〔埼玉県鳩ケ谷市〕滋野憲永がやどりにつきぬ。廿日のよの殘月ほがらかにかれたる草のすゑに落かゝりて。朝の日又東の空より光計ほのめきたり。富士蒼天にひとしくして雪みどりをかくせり。唯それならむとおもふに。忙然として大空にむかへり。
けさみれははや慰みつふしのねにならぬ思ひもなき旅の空
廿三日には角田川(すみだがわ)〔隅田川〕のほとり鳥越〔東京都台東区鳥越〕といへる海村に善鏡といへる翁あり。彼宅に笠やどりして。閑林にあがめ置る金光寺に在宿し侍。
同十九年元日に。
おさまれる波をかけてやつくはねの大和嶋根に春の立らん
五日立春。
春はけふたつともいはしむさしのや霞む山なき三吉野の里
同月の末。武藏野の東のさかひ忍岡〔台東区上野公園周辺〕に優遊し侍。鎭座社五條天神と申侍り。おりふし枯たる茅原を燒侍り。
契り置て誰かは春のはつ草に忍ひの岡の露の下もえ
ならびに湯嶋〔文京区湯島〕といふ所有。古松はるかにめぐりてしめのうちにむさしのの遠望かけたるに。寒村の道すがら野梅盛に薫ず。これは北野御神〔湯島神社・湯島天神〕と聞えしかば。
忘れすは東風(こち)吹むすへ都まて遠くしめのゝそての梅かか(香)
二月の初。鳥越のおきな艤して角田川にうかびぬ。東岸は下總西岸はむさしのにつゞけり。利根入間の二河おちあへる所に彼古き渡りあり。東の渚に幽村あり。西渚に孤村有水面悠々として两岸にひとしく。晩霞晩霞曲江にながれ。歸帆野草をはしるかとおぼゆ。筑波蒼穹の東にあたり。富士碧落の西に有て絶頂はたへにきえ。すそ野に夕日を帶。朧月空にかゝり扁雲行盡て四域にやまなし。
浪の上のむかしをとへはすみた川霞やしろき鳥の涙に
廿日を過る比鎌倉山をたどり行に。・・・
〔こののち鎌倉・三浦の間に遊び、五月の末帰途に就き、再び武蔵を過ぐ。〕
同じ比六浦(むつら)金澤〔横浜市金沢区〕をみるに。亂山かさなりて嶋となり。靑嶂そばだちて海をかくす。神靈絶妙の勝地なり。金澤にいたりて稱名寺といへる律の寺あり。むかし爲相卿。「いかにして此一もとに時雨けむ山に先たつ庭の紅葉葉」と侍りしより後は。此木靑はかは玄冬まで侍るよし聞ゆる楓樹くち殘て佛殿の軒に侍り。
さきたゝは此一もとも殘らしとかたみの時雨靑葉にそふる
六月の末角田川のほとりにて。遠村夕立。
雲わくるひかけの末も夏草にいるまの里やゆふ立のそら
同二十八日。むさしののうち中野〔東京都中野区か〕といふ所に平重俊といへるがもよほしによりて。眇々たる朝露をわけ入て瞻望するに。何の草ばのすゑにも唯白雲のみかゝれるをかぎりと思ひて。又中やどりのさとへかへり侍りて。
露はらふ道は袖よりむらきえて草はにかへるむさしのの原
漸(ようやく)日たかくさしのぼりて。よられたる草の原をしのぎくる程。あつさしのびがたく侍りしに。草の上にたゞ泡雪のふれるかとおぼゆる程に。ふじの雪うかびて侍り。
夏しれる空やふしのね草のうへの白雪あつき武藏のの原
ほりかねの井ちかき所にて。
そことなく野はあせにけり紫もほりかねのゐの草葉ならねと
七日に鳩が井の里〔埼玉県鳩ケ谷市〕滋野憲永がもとにて。秋増戀。
きのふかは思ひし色のあさは野も木からしになる秋の夕暮
初秋の比。よふかき道をくるに。入間の舟渡りまでみをくる人あまた侍りしに。角田川の朝ぎりいづこをほとりともしらず。小舟の行ちがふかひの音のみ身にしみて哀に覺え侍りしかば。彼翁かたへ申送り侍し。
おもかけそ今も身にしむ角田川あはれなりつる袖の朝露
九月十三夜。白井〔群馬県子持村〕戸部(こほう)亭にて。・・・
〔こののち、上野から越後へ帰る。〕
|